2018年9月22日土曜日

「函数」音訳説について探してみる (辞書編)

前回は数学の本の中で音訳説に言及しているものを探したが、今回は辞書。 Google Books で検索したら角川新字源が引っかかったので辞書も見た方が良いのかな、というぐらいのことだったのだが、古い辞書を見るのは意外に難しい。

角川書店

武部良昭 「漢字の用法」(1976)が前回見つけた辞典類における一番古い言及だった。 で、新字源。 実物は今のところ手に取れていないが、Google Books を信じれば、初版(1973)に

函数の函は function の fun の発音を表わす。今は関数と書く。

との記述があるらしい。 (疑っているのは版の扱いで、本当に初版のスキャンなのか、初版が1973年であるところの「新字源」の後の版のスキャンなのかという部分。)

追記1(2018-09-23): 改訂版(1994)を見ることができた。上の引用と同じ文言だった。 そして、初版は1968年。 「1973年」の出所が知りたくて、Google Books で奥付を探してみた(判明した初版出版年の「昭和四十三年」で書籍内検索した)のだが、 出てきたのは昭和五十三年一月二十日一二五版発行と1978年を示唆する結果だった。 版と数えてはいるが要は刷のことだろう。 ということで若干引っかかりは感じるが、つまり、改訂版以前の細かい修正の一部として取り入れられた可能性は残らなくもないが、 現時点で発見された一番古い音訳説が「新字源」初版(1968)と言って大丈夫そうだ。

追記2(2018-09-23): 「角川国語大辞典」(1982)にも表記に関する注意として次のように書かれている。

函数は function の音訳。

三省堂

「新明解国語辞典」第六版(2005)では函数の見出しで最初に次のような説明が入る。

function の、中国での音訳。 「函」は「独立変数を含む」という意味も兼ねる

第四版(1989)でも同じ内容を確認した。 初版まで遡れれば1972年となるが、第三版以前については未調査。

一方「三省堂国語辞典」第七版(2013)では語源に言及していなかった。 「大辞林」第三版(2006)も「例解新国語辞典」第二版(1990)も言及無し。 (追記 2018-09-23: 「広辞林」第五版(1973)も言及無し)

岩波書店

意外にも音訳説を押し出してきているのが岩波書店だ。 言わずと知れた「広辞苑」は少なくとも第五版(1999)以降、函数の見出しに以下の説明だけある。

(「函」は function の fun の音訳)⇒かんすう(関数)

実質的な内容の定義は関数の項にある、というわけだが、音訳説だけは載せておきたかったということだろうか。

他の辞書にも同様の記述が見える。

「函」は function の 'fun' の部分の中国音訳、「関」はその書き換え。

「岩波国語辞典」第七版新版(2011)

「函」は function の fun の音訳。

「岩波新漢語辞典」第三版(2014)

どの辞書も上記以前の版は未調査。 広辞苑の初版(1955)第二版(1965)あるいは国語辞典の初版(1963)辺りはできればチェックしたいところ。

小学館

「大辞泉」第二版(2012)に語源についての言及無し。 「日本国語大辞典」第二版(2001)にも語源についての言及無しだが、もちろん国語大辞典の売りは初出の調査にあって、「函数」については哲学字彙(1881)工学字彙(1886)が挙げられている(他にもう少し後の寺田寅彦の用例も)。

その他

その他の辞書では今のところ音訳説を見つけられていない。 一応見たものを列挙しておくと、「大日本国語辞典」修訂版(1939)「旺文社国語辞典」第十版(2005)「新潮日本語漢字辞典」(2007)「学研現代新国語辞典」改訂第五版(2012)。 (追記 2018-09-23: 「福武国語辞典」(1989)「講談社カラー版日本語大辞典」第二版(1995)「講談社国語辞典」第三版(2004)「明鏡国語辞典」第二版(2010)「集英社国語辞典」第3版(2012)。) 漢和辞典ではそもそも「函」の項に「函数」が出てこない。

辞書の古い版が手近な図書館に置いていないという現実に直面して難航しそうなので、たまたま古い版を持っているという方はコメントでも残していただけると喜びます。 もちろんここに挙げていない辞書に関しての情報でも。


追記: この記事は「函数」音訳説関連の2番目の記事に当たる。

2018年9月17日月曜日

西洋絵画と幾何学

西洋絵画では東洋絵画とは違い境界線を引かず、面の連なりとして画面を構成するという。 つまり東洋絵画で明示される曲線は、西洋絵画では人間が勝手に見出すに任される。 ということで、曲線とは領域の境界線、なる指導原理にしたがって定義できるか考えてみる。

まず \(\mathbb{Q}^2\) を用意する。 とりあえず、ここで用意した有理数の組自体を点とは呼ばないでおく。 まあ、あとで点を定義するとこれらも点と呼ばれる資格を持つはずだが。

《線分》を二元 \(p, q \in \mathbb{Q}^2\) の線形結合 \(\lambda p + (1 - \lambda) q\) として得られる \(\mathbb{Q}^2\) の部分集合と定める。 ただし、\(\lambda \in \mathbb{Q}\) かつ \(0 \leq \lambda \leq 1\) である。 《線分》は \(p, q\) を結ぶと言うことにしよう。 《線分》は定義したい曲線とは無関係な道具立ての一部である。

次に、 \(\mathbb{Q}^2\) を2つの部分集合に分割することを考える。 \(S \subset \mathbb{Q}^2\) と \(T = \mathbb{Q}^2 \setminus S\)。

\(S\) が《連結》とは \(S\) の任意の2元の間を、有限個であれば他の元を何個抜いても有限個の\(S\)内の《線分》で結べることと定義する。 たとえば、単位円の内部 \(S = \{(x, y) \in \mathbb{Q} | x^2 + y^2 < 1\}\) は《連結》である。

いま \(S, T\) がどちらも《連結》で、どちらも何らかの円を含むと仮定する(広がりをもつ、と言いたい)。 \(s \in S\) が《境界》にあるとは、\(s\) を中心とするどんな円も \(S, T\) とそれぞれ空でない共通部分を持つことと定義する。 さらに、\(B_S \subset S, B_T \subset T\) がどちらも《境界》にある元の集合のとき 分割 \(S' = (S \setminus B_S) \cup B_T, T' = (T \cup B_S) \setminus B_T\) は \(S, T\) と《同値》であると定義する。

このとき、分割の《同値》類 \(S, T\) を「曲線」と定義する。 特に、\(S\) が(または定義は対称なので \(T\) でもいいのだが)有界ならば、「閉曲線」である。

たとえば、単位円は \(S = \{(x, y) \in \mathbb{Q} | x^2 + y^2 < 1\}, T = \{(x, y) \in \mathbb{Q} | x^2 + y^2 \geq 1\}\) の《同値》類。 《境界》にある元は \(x^2 + y^2 = 1\) の有理解だから、それらを \(S\) の側に入れるか \(T\) の側に入れるかしたすべて。

…といったことろ(最後の「すべて」に非可算無限個の同値な分割が現れるのを見た辺り)で力尽きた。 だいぶ雑だが、ある意味でデデキントの切断を2次元に上げれば有理数体だけに基づいて曲線が定義できるんじゃないか、という話でもある。

2018年9月12日水曜日

「函数」音訳説について探してみる

Twitter に書こうかと思ったが、ちょっと長くなるのでこっちに書くことにする。

「函数」が音訳というデマと、本当の語源というブログ記事についてツイートされてるのを見た。 詳しい内容はリンクを辿って読んでみて欲しい。 その記事中の「函数」音訳説という部分で、引用されているものが意外と新しい1980年代以降のものなので、さすがにもっと古いだろう、と探してみた。

1. 武部良明「漢字の用法」(1976)

このほか武部良明『漢字の用法』(角川書店1976)にも同様の記述があるという(未確認)。

とあって、たまたま同書(三版)を持っているので調べてみた。 「関数」ではなく「関・函」の項にあった。

「函」は「いれる」意味。 したがって、「函数」という漢字の組み合わせからは、「対応して定まる数」という意味は出てこない。 「函数」については function という原語の音 fun を、「函」の音カン(現代中国語 han)で写したものとされている。 これに対し現代表記の「関数」は、全体の意味を「かかりあう数」と考え、「函」の部分を、同音で「かかりあう」意味の「関」に書き換えたものである。

2. 遠山啓「関数を考える」(1972)

近所の図書館で見つけた。 会話体の文章の中で、先生役が言っている。

はっきりはわからないが, 中国語の発音では function と似ていて, しかも意味も近いらしいのだ.

3. 遠山啓「数学は変貌する」(1971)

2012年にちくま学芸文庫から出た「現代数学入門」所収。 「関数を考える」が中学生ぐらいを対象にしたシリーズの一冊なので、そこでいきなり初披露ということは無いだろうと見当をつけて遡って探した。

機能とは簡単にいうと働きです。 ライプニッツが初めてファンクションという言葉を使った. ライプニッツはドイツ人ですが, ドイツ語は当時はいなかの言葉みたいで, フランスが文化の中心であったから, フランス語で書いてありますので, フォンクション (fonction) です. もとは日本では「函数」, あとになって「関数」と改めたのです.

なぜこんな函の数という妙な言葉を使ったか, これは中国からきた字です. 中国人は各国語を音まで似せて訳すことがうまい. フォンクションは中国語で函数を中国読みしますと非常に似ているのだそうです. しかも意味も非常に似ている. これは「含む」という意味だそうです. 函の中だから何かを含んでいる. 函という字でもないという説もありますが, 要するに中国人にはわかるかもしらぬが, 日本人にはわからないものを使ったということが, 函数をわからなくした原因の一つです. これだけでは何のことやらわからない.

だいぶ伝聞の説だと強調している風なので、もう少し遡れるのかもしれない。 が、見つけられたのはここまで。 以降は、この説に言及していないものを少し紹介しておく。

A. 吉田洋一・赤攝也「数学序説」(1954)

2013年に(これも)ちくま学芸文庫から出ている。 引用は‘函数’という語に対する脚注。

英語 'function' (ラテン語 functio から出た語) の訳語. 関数とも書く. functio という言葉はライプニッツに始まるものである.

ライプニッツの使った言語はフランス語なのかラテン語なのか。 というのはさておき、函数が中国語由来とも言っていない。

B. 高木貞治「数学の自由性」(1949)

2010年にいろいろ寄せ集めて(これも)ちくま学芸文庫から同名で一冊にして出している中の一部で、年は序文の署名についている年を採用したが、引用部分は雑誌掲載が1939年の文章への追記部分なのでもう少し以前に書かれたものだろう。

中でも, 函数だの, 方程式だの, 文字の意味はわからないで, ただ慣用久しきために平気で通用しているのもある. 逆説めくけれども, こういうのが実は数学用語として理想的なる例というべきであろう. function(作用, 機能)といっても何のことだかわからないから, やっぱり同じく無意味なるカンスウでよいではないか!

高木貞治は、謙遜かもしれないが、意味不明・無意味な語という扱いだった。

まとめ

遠山啓が説を生み出した主犯ではないにしろ広めるのには大きく貢献したのではないかと。 伝聞だと信じれば少なくとも1970年代初頭にこの説に触れていたことになる。 数学界での俗説という可能性もあるが、教育関係から伝わってきた可能性も疑われる。


追記: この記事は「函数」音訳説関連の最初の記事に当たる。