2018年9月12日水曜日

「函数」音訳説について探してみる

Twitter に書こうかと思ったが、ちょっと長くなるのでこっちに書くことにする。

「函数」が音訳というデマと、本当の語源というブログ記事についてツイートされてるのを見た。 詳しい内容はリンクを辿って読んでみて欲しい。 その記事中の「函数」音訳説という部分で、引用されているものが意外と新しい1980年代以降のものなので、さすがにもっと古いだろう、と探してみた。

1. 武部良明「漢字の用法」(1976)

このほか武部良明『漢字の用法』(角川書店1976)にも同様の記述があるという(未確認)。

とあって、たまたま同書(三版)を持っているので調べてみた。 「関数」ではなく「関・函」の項にあった。

「函」は「いれる」意味。 したがって、「函数」という漢字の組み合わせからは、「対応して定まる数」という意味は出てこない。 「函数」については function という原語の音 fun を、「函」の音カン(現代中国語 han)で写したものとされている。 これに対し現代表記の「関数」は、全体の意味を「かかりあう数」と考え、「函」の部分を、同音で「かかりあう」意味の「関」に書き換えたものである。

2. 遠山啓「関数を考える」(1972)

近所の図書館で見つけた。 会話体の文章の中で、先生役が言っている。

はっきりはわからないが, 中国語の発音では function と似ていて, しかも意味も近いらしいのだ.

3. 遠山啓「数学は変貌する」(1971)

2012年にちくま学芸文庫から出た「現代数学入門」所収。 「関数を考える」が中学生ぐらいを対象にしたシリーズの一冊なので、そこでいきなり初披露ということは無いだろうと見当をつけて遡って探した。

機能とは簡単にいうと働きです。 ライプニッツが初めてファンクションという言葉を使った. ライプニッツはドイツ人ですが, ドイツ語は当時はいなかの言葉みたいで, フランスが文化の中心であったから, フランス語で書いてありますので, フォンクション (fonction) です. もとは日本では「函数」, あとになって「関数」と改めたのです.

なぜこんな函の数という妙な言葉を使ったか, これは中国からきた字です. 中国人は各国語を音まで似せて訳すことがうまい. フォンクションは中国語で函数を中国読みしますと非常に似ているのだそうです. しかも意味も非常に似ている. これは「含む」という意味だそうです. 函の中だから何かを含んでいる. 函という字でもないという説もありますが, 要するに中国人にはわかるかもしらぬが, 日本人にはわからないものを使ったということが, 函数をわからなくした原因の一つです. これだけでは何のことやらわからない.

だいぶ伝聞の説だと強調している風なので、もう少し遡れるのかもしれない。 が、見つけられたのはここまで。 以降は、この説に言及していないものを少し紹介しておく。

A. 吉田洋一・赤攝也「数学序説」(1954)

2013年に(これも)ちくま学芸文庫から出ている。 引用は‘函数’という語に対する脚注。

英語 'function' (ラテン語 functio から出た語) の訳語. 関数とも書く. functio という言葉はライプニッツに始まるものである.

ライプニッツの使った言語はフランス語なのかラテン語なのか。 というのはさておき、函数が中国語由来とも言っていない。

B. 高木貞治「数学の自由性」(1949)

2010年にいろいろ寄せ集めて(これも)ちくま学芸文庫から同名で一冊にして出している中の一部で、年は序文の署名についている年を採用したが、引用部分は雑誌掲載が1939年の文章への追記部分なのでもう少し以前に書かれたものだろう。

中でも, 函数だの, 方程式だの, 文字の意味はわからないで, ただ慣用久しきために平気で通用しているのもある. 逆説めくけれども, こういうのが実は数学用語として理想的なる例というべきであろう. function(作用, 機能)といっても何のことだかわからないから, やっぱり同じく無意味なるカンスウでよいではないか!

高木貞治は、謙遜かもしれないが、意味不明・無意味な語という扱いだった。

まとめ

遠山啓が説を生み出した主犯ではないにしろ広めるのには大きく貢献したのではないかと。 伝聞だと信じれば少なくとも1970年代初頭にこの説に触れていたことになる。 数学界での俗説という可能性もあるが、教育関係から伝わってきた可能性も疑われる。


追記: この記事は「函数」音訳説関連の最初の記事に当たる。

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