2019年11月23日土曜日

Aurifeuille 恒等式

前回、概要を紹介した Aurifeuille 因数分解。 その最後に円分多項式が \(F(X)^2-kX^qG(X)^2\) という形に分解される、というところまで書いた。 今回は、そちらをメインに書いていこうと思う。

と、その前に、タイトルについて補足しておこう。 前回のタイトルが「Aurifeuillian 因数分解」だったのだが、慣習として人名の形容詞形は日本語の中では使わないことを思い出して — Hermitian operator はエルミート演算子、Cartesian coordinates はデカルト座標、のように — 今回は「Aurifeuille 恒等式」というタイトルにした。

最初に記号をまとめておく。 \(k\) を無平方な(素因数の二乗では割り切れない)正整数とする。 \(d\) を \(\mathbb{Q}(\sqrt{k})\) の判別式とする。 \(k \equiv 1 \pmod 4\) ならば \(d=k\)、そうでなければ \(d=4 k\) である。 \(n\) は奇数であって \(d\) で割り切れるか、偶数であって \(d\) では割り切れないが \(2\) 倍すれば \(d\) で割り切れる正整数とする。 つまり \(k \equiv 1 \pmod 4\) ならば \(k\) の奇数倍、そうでなければ \(2 k\) の奇数倍である。 \(q\) はほとんど使わないが、\(q = \prod_{p|n,p\neq 2}p^{v_p(n) - 1}\) とする。 \(n\) を無平方に限っておけば \(q=1\) である。

さて、いろいろ調べてみると、円分多項式に対する恒等式として似たようなものが2種類ある。 1つは主に Gauss の名に紐付けられる、 \[4\Phi_n(X) = A(X)^2-\epsilon k B(X)^2\] という形の恒等式、もう1つが主に Aurifeuille の名に紐付けられる \[\Phi_n(X) = F(X)^2 - k X^q G(X)^2\] という形の恒等式である。 どちらも円分体とその部分体である2次体との関係を利用するのだが、やり方が少し異なる。

Gauss の方は、円分多項式の根を冪が平方剰余のものと平方非剰余のものに分ける。 \[\Phi(X) = \prod_{m:平方剰余}(X-\zeta^m)\prod_{m':平方非剰余}(X-\zeta^{m'})\] ガロワ群が \((\mathbb{Z}/n\mathbb{Z})^{\times}\) と同型で作用が冪で表されることから、 指数 2 の部分群を考えている、つまり対応する2次体を考えていることになる。 実際それぞれ2次体の元であるところのガウス周期が係数に出てきて、それが分母 \(2\) であったり虚数単位を伴ったりするために、整数係数の式にまとめる際に左辺の \(4\) (分母を払った)や符号 \(\epsilon\) (虚数が出てくる場合に負) が現れる。

一方 Aurifeuille の方は一度 \(\Phi(X^2)\)を考える。 \(X^2-\zeta^m\) という因子を和と差の積に分解しておいて、それを敢えて \[\Phi(X^2)=\prod(X-\chi(m)\zeta^m)\prod(X+\chi(m')\zeta^{m'})\] と基本的には平方剰余記号である係数 (\(\chi\) とここでは書いた) 付きの積二つに分ける。 これにより今度は分母を伴わない \(k\) の平方根であるガウス和が係数に現れる。 まとめ直すと \(X^2\) の多項式になっているので、これを改めて \(X\) と置き換えれば、欲しかった恒等式が得られる。

以上、非常にざっくりした怪しい説明だが違いが何となく解ってもらえればそれで良い。

2019年10月26日土曜日

Aurifeuillian 因数分解

ちょっと特殊な因数分解の話。 知っている人にとっては何ら目新しい話ではないのだが、日本語の情報をほとんど見掛けないので書いてみる。

たとえば、こういうぱっと見には不思議な因数分解である: \[16385 = 2^{14}+1 = (2^7-2^4+1)(2^7+2^4+1) = 113 \times 145\] Aurifeuille (1)という19世紀フランスの数学者が最初にこの手の因数分解に言及したとされることから名前がつけられているらしい。 ちなみにこうして分解されるときの小さい方の因子を L、大きい方を M と呼ぶ慣習がある。

因数分解できると言われてみれば確かに、\(2^7+1\) を2乗して、左辺と比べて過剰になった \(2\times 2^7 = 2^8\) を引くと、ちょうどうまく平方の差の形になって、和と差の積に分解できる。 また、簡単な一般化として、\(2^7\) の代わりに \(2^{2k-1}\) つまり \(2\) の奇数乗を使っても同じような因数分解が得られるのも見て取れるだろう。 さらに言えば、\(2 n^2\) を使っても、同じような因数分解が得られる(3)。

それを踏まえて振り返ってみると、左辺は実は \(X^2+1\) という多項式に \(2^7\) を代入していたのだ。 この多項式 \(X^2+1\) は4次円分多項式 \(\Phi_4(X)\) と呼ばれている。

円分多項式はこのブログ頻出だが一応おさらいしておく。 \(1\) の原始 \(d\) 乗根全てを根に持つ多項式を \(d\)次円分多項式といい \(\Phi_d\) と書く。 だからたとえば、上の4次円分多項式 \(\Phi_d(X)\) は \(1\) の原始4乗根すなわち虚数単位 \(i\) とその共役 \(-i\) が根である。 式で書けば \(1\) の原始 \(d\) 乗根の一つを \(\zeta_d\) として \[\Phi_d(X) = \prod (X - \zeta_d^k)\] である、ただし \(k\) は \(d\) 以下の \(d\) と互いに素な自然数を走る。

話を戻すと、Aurifeuillian 因数分解と呼ばれるものは、円分多項式に特別な数を代入したときに現れる因数分解なのである。 今後代入される数は \(a\) と書くことにする。 有理数に拡張することもできるのだが、ひとまず整数だとしておく。 どんな \(d\) に対しどんな \(a\) を代入すれば因数分解できるのだろう。

要点はこうである。 有理数体に \(1\) の原始 \(d\) 乗根 \(\zeta_d\) を添加した体 \(\mathbb{Q}[\zeta_d]\) において、 \(a\zeta_d = \beta^2\) となる \(\beta\) が存在したとする。 この仮定の下で \(\Phi_d(a)\) を計算する。 \[\Phi_d(a) = \prod(a - \zeta_d^k) = N(a - \zeta_d)\] ここで \(N\) は \(\mathbb{Q}[\zeta_d]\) の絶対ノルムすなわち共役の積。 \(\zeta_d\) の共役たちがちょうど \(\zeta_d^k\) たちなので、二つめの等号が成り立っている。 さらに \(\zeta_d\) は単数だから \(N(\zeta_d) \in \{1, -1\}\) であり、ノルムが乗法的なのと合わせて、 \[N(a - \zeta_d) = \epsilon N(a\zeta_d - \zeta_d^2) = \epsilon N(\beta^2 - \zeta_d^2) = \epsilon N(\beta + \zeta_d) N(\beta - \zeta_d)\] と因数分解できることになる。ただし正負どちらかの符号となる \(N(\zeta_d)\) を \(\epsilon\) と書いた。

この \(a\zeta_d = \beta^2\) となる \(\beta\) が存在する条件を考えるのだが、 \(\zeta_d\) を掛けて平方数になるかどうかという判断なので、 \(a\) に関する条件が判れば \(a n^2\) に関する条件はそこから導ける。

\(a\) の平方因子をもたない部分 \(a^*\) について、次が必要十分条件であることが知られている。

\(a^*\) が \(d\) を割り切り、かつ次のいずれかを満たす:

  • \(a^* \equiv 1 \pmod{4}\) かつ \(d\) が奇数
  • \(a^* \equiv 3 \pmod{4}\) かつ \(d\) が \(2\) でちょうど1回割り切れる
  • \(a^*\) が偶数でかつ \(d\) が \(2\) でちょうど2回割り切れる

一番下の条件が最初に出した \(\Phi_4\) の例なので、 一番上の条件を別の例として見てみよう。 \(a^*\) として最小の \(5\) を採ると、\(a^*\) が \(d\) を割り切らなければならないかつ \(d\) は奇数なので、最小は \(d=5\) である。 つまり \(\Phi_5(5)\) が因数分解できる。 \[\Phi_5(5) = 5^4 + 5^3 + 5^2 + 5 + 1 = 781 = 11\times 71 = (41-30)(41+30)\] と具体的な数では分解できることが確かめられる。 \(41\) を5進数だと思って表すと \(5^2+3\cdot 5 + 1\)。 \(30\) は \(5^2 + 5\) だが、\(5\) で括って \(5(5 + 1)\) とも書ける。 ここから括り出した \(5\) 以外の \(5\) を \(X\) に置き換えて、 \(30^2\) を二通りの \(30\) の表し方の積とすれば一般に \[\Phi_5(X) = (X^2+3X+1)^2 - 5X(X+1)^2\] とも書けることがわかる。 こうすると、\(X\) が \(5 n^2\) の形なら因数分解できることがよりはっきりと見て取れる。 円分多項式をこのように \(F(X)^2 - kX^qG(X)^2\) の形に表したものを Aurifeuillian 恒等式とも呼ぶ。

具体的な因数分解の様子は参考文献の Prime Wiki が詳しい。

  1. 読み方はおそらく Aurifeuille はオリフュイユ、形容詞形の Aurifeuillian はオーリフュリアン(←英語風。または仏語風にオリフュイヤン?)(2)。
  2. 形容詞形は Aurifeuillean とも書く。
  3. Euler が Goldbach に宛てた手紙の中でこの形に一般化された因数分解に言及していたようだ。Aurifeuille より歴史的には古い。

参考文献

2019年9月7日土曜日

Collatz "主要項" 予想 (3752)

以前書いた Collatz "主要項" 予想。 何だったかというと、 \(\DeclareMathOperator{\ceil}{ceil}\) \[f(x) = x - (-1)^{\ceil(x)}\frac{x}{2}\] という関数を繰り返し適用すると、任意の正実数から出発してそのうち \(1\) 未満になる、 と個人的に予想したもの。 言いっぱなしも良くないので、プログラムを書いてみた、というのが前回までのお話。

せっかくプログラムを書いたので、計算させてみる。 前回も実際 \(200\) 以下については確かめたのであった。 その計算を細々と続けていたのだが、 10日ほど前に始めた区間 \((3752, 3753]\) の計算が収束しないのである。 もしかして、成立しないのだろうか。 だとすればどのように? 成り立つ前提でプログラムを書いたので、止まらない場合の解析は難しい。 とりあえずメモリー使用量はじわじわと上昇する感じなので、いきなり無限大に向かって発散して行ってしまっているわけではなさそう。

2019年7月22日月曜日

Collatz "主要項" 予想 (実験)

6月に書いた"Collatz" 主要項予想の続き (クオーテーションが若干違うけど、気分的なもの)。

表計算ぐらいで何とかなると思って試してみたら意外と面倒だったので、プログラム (mft/collatz_main_term) を書いて計算してみた。 1 から 200 までは成り立っていた(最大700ステップぐらい)。

2019年7月5日金曜日

定家本土佐日記

土左日記という菓子を高知土産として会社に持ってきた人がいた。 そのパッケージに土佐日記の冒頭が書いてある。 男もすなる日記といふものを女もしてみむとてするなり、というあれ。

と思って字を追ってみたら、どうも違った。 おとこもすといふ日記という物をゝむなもして心みむとて…、みたいに書いてある。

そんな異本もあるのか、と思ってちょっとぐぐってみたら、定家本というのがそういう本文らしい。 定家本土佐日記 : 尊経閣叢刊. [本編]として国会図書館デジタルコレクションで見ることもできる。 一つ勉強になった。

2019年6月15日土曜日

"Collatz" 主要項予想

Collatz 予想では、奇数ならば3倍して1を足す、偶数ならば2で割る、という操作を繰り返す。

「奇数 x を3倍して1を足す」というステップを 1+x+2x と分けてみる。 2x って何だろう? x+x? x より小さくしたのと、x より大きくしたのに分けると等差数列ができる。 x は奇数なのだから 2k+1 と書くと解り易い。 1, k+1, 2k+1, 3k+1。 中の2項の和と外の2項の和は等しい(から後で2で割られる)ので、中の2項の和だけ計算すれば良い。 (もう一度 x に戻すと)足されるのは (x+1)/2。 だいたい x の半分を足すのか。 偶数の方は…半分を引く。

というような道筋で、Collatz 予想の変換は偶数奇数合わせて1つの式で書けることに気付いた。 \(\DeclareMathOperator{\ceil}{ceil}\) \[x - (-1)^x \ceil(\frac{x}{2})\] もちろん \(\ceil\) は「切り上げた整数」の意味の天井関数。

調子に乗って複素関数として \[z - e^{i\pi z}\frac{2z + 1 - e^{i\pi z}}{4}\] などと書いたら複素力学系の話として広がるんじゃないかとか思ったが、手計算が大変なのでこの方向は後回し。

ところで、これ天井関数やめたらどうなる? つまり切り上げのための補正をなくして主要項を取り出してみよう。 と思ったが、そうすると \((-1)^x\) の扱いに困るので \[x - (-1)^{\ceil(x)} \ceil(\frac{x}{2})\] だと思って \[x - (-1)^{\ceil(x)} \frac{x}{2}\] つまり、切り上げて奇数ならば 3/2 倍し、切り上げて偶数ならば 1/2 倍することにする。

たとえば 7 → \(\frac{21}{2}\) → \(\frac{63}{4}\) → \(\frac{63}{8}\) → \(\frac{63}{16}\) → \(\frac{63}{32}\) → \(\frac{63}{64}\) → \(\frac{189}{128}\) → \(\frac{189}{256}\) → \(\ldots\)。 最終的に1の周辺をふらふらするように見える。

1の周辺に落ち込んだらそこから出られないのは、\((0,1\rbrack\)区間の数はせいぜい\((1,\frac{3}{2}\rbrack\)区間までしか上がれず(上がれない奴らは\((0,1\rbrack\)区間にとどまる)、そこは切り上げたら2の領域なので半分になって\((0,1\rbrack\)区間の中に戻されるから。

元の Collatz 予想で長持ちする例である 27 は、 27 → \(\frac{81}{2}\) → \(\frac{243}{4}\) → \(\frac{729}{8}\) → \(\frac{729}{16}\) → \(\frac{729}{32}\) → \(\frac{2187}{64}\) → \(\frac{6561}{128}\) → \(\frac{6561}{256}\) → \(\frac{6561}{512}\) → \(\frac{19683}{1024}\) → \(\frac{19683}{2048}\) → \(\frac{19683}{4096}\) → \(\frac{59049}{8192}\) → \(\frac{59049}{16384}\) → \(\frac{59049}{32768}\) → \(\frac{59049}{65536}\)。 と先ほど計算した 7 よりは長いが、1未満に落ち込んだ。 やはり何から始めても1未満に落ち込むのでは?

"Collatz" 主要項予想

任意の正数について、切り上げて奇数ならば3/2倍し、切り上げて偶数ならば2で割る、という操作を繰り返すとそのうち 1 未満になる

が成り立つのではないだろうか(名前は適当に考えた)。 もとの Collatz 予想ではループする可能性が捨てきれないが、 こちらはループの可能性が分母の2冪が単調に増加していくという理由で排除できる分、発散してしまうかどうかに集中できる。

2019年2月2日土曜日

数学の基盤

最近実数論の本を何冊か読んでいる。 その中で思ったことを書いてみようと思う。

実数はユークリッド幾何学の帰結である

ユークリッド幾何学は、直線は限りない延長をもつし、線分はいくらでも分割できる。 果てしなく遠いところからものすごく小さい領域まで一様な世界で成り立っている。 これは人間の日常感覚の極大と極微への外挿である。 言い換えると、人間の直観が通用する世界を仮構したものである。

この世界では、線分に確定的な長さを定義できる。 これにより、対角線の長さとして無理数が導入された(まだ代数的数の範囲ではあるが)。 そして、通約不能な二つの長さに常に確定的な比を与えるには無限小数展開のような仕掛けが必要になる。

ユークリッド幾何学だけが特別なのか

ユークリッド幾何学、と上では言ったが、実際のところ非ユークリッド幾何学にしたところで似たり寄ったりである。 ニュートン力学にしても、さらに言えば相対性理論にしても、極大から極微まで一様な世界を仮定していることには変わりない。 これらをまとめて古典世界と呼ぶことにしよう。

おそらく古典世界を抜け出した理論は量子力学しかない。 そこではいかなる観測も不確定性を逃れられないので、長さも幅のある観測値の統計としてしか把握できない。

数学全体が古典世界に属しているのではないか

現在の数学が基盤としている論理と集合論は、基本的に実数論を支えるようにできあがっている。 ということは、これも全体として古典世界に属していると言うべきなのかもしれない。

なぜそうなっているのか、というと最初に戻るが、古典世界というのが「人間の直観が通用する世界」という枠組みだからである。 人間の理解は結局、世界が直観に反していたとしても、人間の直観が通用する世界に引き戻さないと実現しない。

人間は特別なのか

「人間の直観」などと書いてきたが、本当は人間に固有の事情はほぼ無いと思っている。 だいたい人間と同じぐらいの大きさの陸上に暮らす生き物がもつ直観、という程度には広い適応範囲があるものだろう。 量子力学的効果が日常に感じられない程度の体格があれば世界を把握する原始的モデルは人間と大して変わらないはずだ。 突き詰めれば古典世界は生物のサイズによる制約だ。

さらに飛躍させれば、異星人という存在があったとしてサイズや元々の生息環境が人間と似ていれば、だいたい古典世界は相互理解可能だと思う。 「だいたい」というのは発展の筋道によって細部の理解に差はあるだろう、というような留保で、 人間同士でもちょっと時代が違えばそれなりに異なる理解をしていたのだからギャップがないわけではなかろうが、 でも根本的には同一の世界観の中での違いにすぎない、と私は見る。


以上、ちょっとメタな考えを述べてみた。 テューリング機械がニュートン力学的だ、という昔聞いた指摘の奥にもう一段階無意識の枠組みがあるんじゃないかという話なのかもしれないと自分で読み返して思った。

2019年1月2日水曜日

2018年の読書

2019年が始まったので、2018年中に読んだ本の中から印象に残ったものを紹介する。 読書メーターの記録によればマンガも入れて140冊程度読んだらしい。

科学系では生物の本が多かった。 「CRISPR」の世界への影響も気になるところだが、 「タコの心身問題」で沸き起こった頭足類への興味が目下のブーム。 「新しい植物分類体系」や 「新たな魚類大系統」などゲノム解析技術の進展とともに変わっていく分類学は読んでいて意外に飽きない。

数学では、年の前半に計算幾何学、後半に数の体系についての本を多く読んだ。 N.J.Wildberger「Divine Proportions」は幾何学から長さと角度を追放しようという試み(平方根とか三角関数無しで済ませようということ)。 O'Rourke「Computational Geometry in C」は少し古いが良書。 後者では、彌永昌吉「数の体系 上, 」が新書ながら一番詳細な記述だった。 全体的な流れをつかむのには足立恒雄「数とは何か そして何であったか」が良かった。 通底するのは、計算できない対象を扱うことへの反省。

コンピュータ関係はあまり読まなかったと思う。 Python の本を数冊と、「プログラミングRust」くらいか。

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