スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

1月, 2020の投稿を表示しています

形式和の定義を見たことがありますか?

ないかもしれないな。まあ、あれだよ。適当な環と集合をもってきて、環の元で重みをつけて集合の元を足し合わせたものだよ。 — 重みとは何でしょう? 足し合わせるとは? 「重み」という言葉には意味は無いよ。環の元と集合の元とを対にして扱う、という気持ちだな。後なんだっけ、「足し合わせる」? 書き並べるに当たって、区切り記号が + ってだけだよ。 — 本当にそれだけですか? ん? — それだけなら、コンマで区切って並べても良いわけじゃないですか。 意外と鋭いね。そうだな、足し算と思いたい事情もなくはない。一つめは、並べる順番に意味が無いということだな。違う順番に書き並べても違うものとは思わないことにしておきたい。もう一つは、同類項をまとめてしまいたい。 — 同類項。 集合の同じ元を2回使う場面があったら、その足し算は係数の環の方に寄せてしまって一つにまとめられるだろう。だから、集合の同じ元を使った項をまとめられる項という意味で同類項と言うわけだ。 — 係数という言葉が出てきましたが… 重み重み。 — はい。その重みですが、今のところ環の元である必要性は無いように思えます。足し算しか… いやそれはさあ、君。重箱の隅ってものだろ。現実的な使用に即して話しているわけだからさ。デフォルトは整数だし良く使われるのはむしろ体だったりするのに、何だ、アーベル群で良いだろうっていうことか。 — いけないでしょうか。 うーん。いけなくはない。いけなくはなさそうだが…

現象

数学の対象は存在ではなく現象である。 というフレーズを思いついた。 1 という対象はどこにも存在しない。 整数という対象は存在しない。 整数の論理的条件に合致する現象について考えることしかできない。 最近、ホモトピー型理論 HoTT (Homotopy Type Theory) という理論を聞きかじった。 そこに univalence axiom (テキトーに訳すと「統価公理」)という要請がある。 ざっくりした理解で言えば、同じ振る舞いをする型は同じ型ということにする、という原理である。 実装の違いに依らず整数は整数、というような説明をされる。 この理論を計算機科学の文脈で捉えるだけなら実装と言っておけば良いのだが、 集合論に代わる基礎論の文脈からはこれをどう考えるのだろう、とどこか引っかかっていた。 整数のように振る舞う対象は整数である。 そう考えると、全ての自由巡回群は整数である。 集合論的には別物に見えても、同じ振る舞いしかしないのだから。 つまり、整数について語ることは個別の存在について語っていると言うより、整数という現象について語っているのだ。 これがたどり着いた結論である。 数学では存在量化子という記号を使って存在について語っているように見える。 しかし、現象についてしか語っていないとすれば、この記号は別様に解釈しなければならない。 古典論理では、「外れることのない現象の予言」と見なせるだろう。 外れることがないのだからそれに基づいてさらなる予言を積み重ねることが正当化されるという立場。 しかし直観主義論理では「成就への筋道が示された現象の予言」しか受け入れない。 外れないのは必ず当たることとは別だという立場である。 プラトニズムのお花畑から距離を置くことができたかな。

2019年の読書

恒例なので、去年読んだ本から記憶に残ったものを紹介する。 2019年は読んだ冊数が少なかった気がする。 2018年の後半にいくつか読んでいた数の体系の話は、2019年も少し引き続いた。 読んだ本で言うと高木貞治「 数の概念 」(最近 ブルーバックス でも出た)、足立恒雄「 フレーゲ・デデキント・ペアノを読む 」。 結局実数を成り立たせるように現在の数学ができているという確認に終わった。 科学系では生物の本も読んだように思うが、あまり記憶に残っていない。 インパクトが大きかったのは主に物理学で、特にカルロ・ロヴェッリ「 すごい物理学講義 」「 時間は存在しない 」。 単発では「 原子核から読み解く超新星爆発 」が印象に残っている。 その他のジャンルでは紀田順一郎「 蔵書一代 」は考えさせられた。 ※本のリンクはamazonアフィリエイトです。